原爆ドーム

業務の都合により、出張に出張を重ねることになりました。

東京→大阪→広島→東京となります。

広島には13年ほど前に出張で一泊したきりで、その時は日が沈んでから到着して翌日作業、そのまま次の出張地に向かったため何をしたという記憶もありません。

今回もとんぼ返りの予定でしたが、1時間ほど時間を作れたので原爆ドームに寄ってきました。

広島と言えば路面電車

平日の昼間ということもあり、周りは修学旅行生と外国人観光客くらいでしたが、厳かな気持ちで観光されていると感じました。

平和記念公園に入るとすぐに慰霊碑がありましたので手を合わせてから散策を始めました。

慰霊碑に手を合わせてから

原爆ドームの元々の設備概要:

現在の原爆ドームは、1915(大正4)年に広島県の物産品の販売促進を図る拠点とすることを目的として建てられたもので、設立当初は「広島県物産陳列館」という名称でした。その後「広島県立商品陳列所」、「広島県産業奨励館」と改称されました。
大胆なヨーロッパ風の建物で、県下の物産品の展示・販売を行うほか、博物館・美術館としての役割も担っていました。しかし、戦争が激しくなった1944(昭和19)年3月には産業奨励館としての業務が廃止され、内務省中国・四国土木出張所や広島県地方材木・日本材木広島支社などの統制会社の事務所として使用されていました。

原爆ドームは、原爆が投下される前は何だったのですか? (広島市)
原爆ドームの紹介

当日は抜けるような快晴で気持ちの良い気候でした。

原爆ドームから160mほど離れた、地上600mで原子爆弾がさく裂したとのことで、ほぼ真下に存在したレンガ作りのドームだったので縦方向に力の掛かりづらい壁面が残るようになったそうです。そして周囲の町並みは爆風で飛ばされてしまったとのこと。

原爆ドームを正面から

当時のまま保全されているのだと思いますが、きれいな芝生の中央に瓦礫が残されていました。

目を凝らすとたくさんの瓦礫

戦争がダメなのもわかるのですが、開戦に至るまで避けられない事情もあるのでソレ自体は自衛のためかで評価が分かれていいと思います。美化するつもりもありませんが大東亜戦争(太平洋戦争)は自衛のためと言われています。

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。

対訳 マッカーサー証言

で、戦争なら何をしてもいいのかというとダメですよね。非戦闘員への戦闘行為は真っ先に挙げられるものでしょう。


原爆とは街を破壊する爆弾であり目標は兵士ではなく市民です。長い歴史に渡り積み上げられてきた歴史や財産、景色と市井の営みを一瞬で消し去ります。

過去の常識がどうであれ、当時のアメリカは間違いなく常軌を逸していました。神話でもここまで残虐な行為は見当たらないのではないでしょうか。


月並みな感想ですが、原爆ダメ絶対。能天気な平和主義者ではありませんが、それだけは思いました。

戦時中とはいえ長崎を含め当地で生活していた当時の人に思いを巡らすとやるせない気持ちになります。


地元出身の方にお勧めしてもらったつけ麺屋がおいしかったです。

ばくだん屋 広島駅ビル店

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